良き縁をつなぎ、運を開く【良縁屋】

良縁屋へようこそ。

良縁屋は、つい最近までなごみを提供する店「和ませ屋」として

細々営んでいました。知りたいことをDNAの書庫から読み出し

情報屋としてガイドからのメッセージを含め言葉の薬種として

お伝えしていました。「薬種(やくしゅ)」とは、古い言い方

(そうね、江戸時代位)の薬屋のことをいいます。

 和ませ屋の元である「kotono-ha」は、震災1カ月前の2011年2月9日に

誕生しました。誕生の経緯はいろいろありましたが、それまで

お世話になってきたとある霊気一門からわたしは独立することに

なり。まぁ、運命といえば運命。無謀といえば無謀(笑)

そんな挑戦を、まるで用意されたことのように行ったのがこの2月9日。

 

そして、その1か月後。未曾有の大災害・東日本大震災が発災。

このときのわたしはノークライシス、危機管理など全くして

おらず、それが災いして出張先であった依頼人宅 千葉県市川市で

被災、帰宅難民となります。

 

当時、シングルマザーになって2年目。まだ未成年の子どもを育てて

いました。未曾有の大災害、でも交通機関は麻痺して帰れない。

目の前を無情に通過するタクシーや、東京方面からわいてくるように

押し寄せる人々の波。その最中、駅前のネットカフェのビリヤード台で一夜を明かしました。このとき子どもから貰ったメールの内容は、一生忘れることができません。

 

帰りたい。

その一念で天や、あらゆるものを恨み、心の底から悲しみました。

そして、震災後。復興に向かう過程の中で、多くの人の裏切りを見て

きたわたしはその心の痛みからすべてのスイッチを落とすことを選択し、スペックと呼ばれた能力は、すべての力を失いました。

仕事場も、顧客も、そして何かの信用も。8年という時間をかけて積み

上げてきたすべてのものが音を立てて崩れ去り、何もかもなくなり

ました。それでも人間は、生きて行かねばなりません。

スピリチュアルというものにふたをして生きていた2年半は本当に

地獄で、ただ生きているだけの時間でした。毎日毎日が、乾いた

砂漠に水を落とすように過ぎていく。

 

そんなある日、わたしはかながわ311ネットワークという災害支援

団体と出会います。とある方の導きで、復興支援事業のチームに

参加することになったわたしは、顔合わせの数日後気仙沼に現地

派遣に行かせてもらうことになりました。行きたいけど行けなかった

被災地。そこで見た風景は、自分の甘えた2年半を見事に吹き飛ばす

ものでした。

 

もう一度、現場に還ろう。そう思ってから、ゆっくりと閉じたものが

開き始め。忘れていた時間が、戻ってきました。 

 

力を取り戻したいと、心のそこから思い願い、もがき苦しんだ2015年。

いろんなご縁や、ヒト、モノとの関わりの中、もたらされた辻堂西口にある築41年の古ぼけたテラスハウス。

そこに居を構えることになり、我が身に起きた幾つかのスピリチュアルな体験。不思議なことに辻堂秘密基地には、入る必要がある人しか入れません。まるで建物が人を選んでいるのではないかと思うほど。

もしかしたらそれは、店主である惠巫女の強い願いの中で生み出されたものだからなのかもしれません。願いをかなえるには対価が必要、

だから、その準備が整わないものは入れない。なんだか、最近そんな

気がしています。

 

その昔、薬種として扱われたのは主に漢方薬だったそうです。

良縁屋では、植物を使った厄除けのお守りや、独自配合のハーブ、

オリジナルの護符なども今後ご提供していく予定です。

それは惠巫女が預言者となったことがひとつのきっかけでも

ありますが、願いをかなえるために皆様に何が提供できるか。

それを、一つ一つ考えて、実現して、祈り願っていきたいと

思っています。

かなえたい願いのある方は、一度いらしてみてください。

入る必要があるならきっと、ご縁ができるのではないかと

思っています。

 

                                                      2017/6/13 更新